苦と楽の行

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ナデミタコは、普通の人からは理解不能な生活をしています。ほとんどの人には、なぜナデミタコの様な変人が、世間一般の慣行を無視しているのに、しあわせな結婚生活が成り立つのか、わけがわからないのです。

 

ある仏教徒の友達が、外に勤めに出なさいと言ってきたときは、少しぽかんとしてしまいましたが、ありがたい助言として受け取りました。おそらく彼は、本心から、そう言っておるのです。彼の世界では、苦痛に耐え、毎日早起きして、長時間労働して、我慢の証として、お金を得ることが尊いわけです。仏教は、非常に理路整然とした数学的な思想ですから、頭でわからない頑固な人は、体で学ぶ、すなわち苦行から学ぶしかないのですね。

 

苦行にはなんの意味もないと、お釈迦様は悟っておられるわけです。お釈迦様が言っておるのですから、素直に聞いて、楽しいことだけ追求していけばいいんです。自分の時間を切り売りして、あらかじめ結果が予測の範疇に収まり、程度の差はあれ、結局は誰がやってもできる仕事は、個が無くなる苦痛を我慢するわけですから、まったく意味がないとわかるわけです。楽行とは、ライフワークのことで、未踏の野に踏み出すことです。楽行の過程にも、楽しい我慢や、楽しい試練があることは、その友達には、一生見えないでしょう。

 

劣等感のある世界では、我慢や試練は、本当につらく長い時間で、自分の命のほとんどを費やして、ようやく一日が終わるのです。

 

ナデミタコは、やりたいことだけをやり、会いたい人にだけ会い、妻を喜ばせることを毎日しています。

 

ナデミタコが楽しいことだけすることで、ナデミタコと妻は幸せなんですね。そして、お金も巡って来るんです。それは、ナデミタコが、周りを明るく照らす太陽という仕事をしているからです。夫婦生活という安定した土壌でこそ、絶対真似できない芽は、じわじわと萌えるのです。

 

友達の成功を素直に喜べないのは、本当の友達でしょうか。友達が自分と違うからと言って、劣等感を抱くのは、正常な人間関係の在り方でしょうか。

 

そういった人たちは、人間の高みを目指して、一歩一歩登るうちに、声は聞こえなくなり、視界からも、雲海の彼方へ消え去ってしまいました。