一番条件の良い人

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一番条件の良い人は、誰なのか見極めることは、人生で乗るレールを選ぶときに、一つの判断材料になります。

ナデミタコは、20代の前半を、アメリカで過ごし、後半を、日本で個人事業主として過ごしました。

アメリカで、衝撃を受けたのは、大学生が、どんどん転校するということです。転校は、トランスファーといって、アメリカの大学生の間では、普通のことなんです。少しでも良い条件を提示してくれる大学があったら、躊躇なく転校します。その条件は、奨学金の提示だったり、大学そのもののネームバリューだったり、いろいろです。大学生は、一人のプロプレイヤーとして、大学と対等に渡り合い、一番条件の良い大学に通うのです。

例をあげます。18歳のA君は、学費が安く、地元の2年制コミュニティカレッジに入学します。そこで、バスケットボールで頭角を現した彼に、近くの4年制大学から、学費免除のオファーが来ます。彼は転校します。そこで、さらなる活躍をした彼に、遠くの強豪校から、学費免除に加えて、生活費の全額補助のオファーが来ます。彼は転校します。強豪校で、チームの成功に貢献した彼には、いくつかの修士課程のオファーが来ます。もちろん、授業料免除と生活費の全額補助のオファー付きです。

バスケットボールに限らず、なんでもいいんです。スポーツ、学業、家柄、宗教、ボランティアと、なんでもありなんです。その生徒がいることが、大学にとって得であると思ってもらえれば、特待生になるんです。

いかに自分を高く売るか。アメリカで見た大学生の立ち振る舞いから、学び取りました。

日本に帰ってきて、実家で農家をしていたナデミタコは、自分が先頭に立たなくても、家業が滞りなく進んでいたので、家族に優しくしながら、自由に遊んでいました。祖父と祖母は健在で農業をしており、父は固い公務員をしており、土地を貸すなど、不労所得もある裕福な農家ですから、なるようになっただけだと、今では思います。

休日は、地元の友達と、カヌーで川下りに行ったり、竹炭を作ったり、バーベキューをしたりしていました。

平日は、ワールドオブワークラフトというオンラインゲームを、ずーっとやっていました。この時、一緒に遊んでいた友達が、ナデミタコの人生を変えました。

平日の昼日中から、好きなだけゲーム出来る人って、限られてるんです。しかも、英語のゲームですから、さらに限られるんです。ナデミタコが、一緒に遊んでいた人たちって、全員が、資産家か個人事業主で、自分が何もしなくても、収入があるシステムを持っている人たちでした。

彼らと遊ぶ中で、彼らの考え方や言動が、大多数の人と、まったく異なることに気が付きました。

そしてナデミタコが30歳になった時に、わたしの人生のレールに、一番条件の良い人を探すことにしました。

それは、いまのナデミタコをまったく変えることなく、高く買ってくれる人です。

探し始めて約1年で、2人見つかりました。

1人は、ナデミタコの義理の父です。彼は、専業農家で、大々的に農業を営み、利益を上げている成功者です。後継者たる婿養子ができたからには、それを継がせたかったはずです。しかし、ナデミタコに、好きなことをしてほしいと言ってくれました。彼の条件が一番良かったので、有機農業の師匠の農場から、暇を頂きました。

もう1人は、ナデミタコの妻です。彼女は、結婚当時23歳で、その地域では、最高クラスに安定した職を持っていました。生涯年収は、3億円です。彼女も、ナデミタコが、道なき道を進む人生を、ありのまま応援してくれました。

ナデミタコは、この二人の喜びを、人生のプライオリティとしています。この二人を絶対守り、得させることが、ナデミタコの一番条件の良い人への恩返しです。

平日は、時間を1秒も売っていない友達と遊んでいます。休日は、家族と過ごしています。ほとんどの人には、ナデミタコは理解不能です。サラリーをまったく自分と家族に提供しなくても、お金があって、しあわせな結婚生活があるんですから、自分でも不思議です。

ナデミタコは、1日だけ、自分の言うことを、素直に聞いただけなんです。そして、自分を変えることなく、周りの環境を自分に合わせたんです。

自分にとって一番条件の良い人って、本当にやりたいことを言っている、自分の魂の声だったりするんです。